東洋医学と西洋医学

 現代医療も西洋医学の限界を感じて、東洋医学をとり入れようという動きも近年広まってきています。

 

 日本が西洋医学一辺倒になったのは明治時代が始まりでした。

 

明治時代、西洋の文化がとり入れられ、西欧諸国の圧力などもあり、漢方が医学界から排除されてしまいました。

 

当時、脚気という病気が猛威をふるっておりました。日清戦争や日露戦争でも、戦争による戦死者より脚気による死者が大半だったそうです。

 

そこで、政府は脚気専門病院を設立します。そして、その病院で西洋医学の権威と漢方医学の権威の二人に治療の対決をさせたそうです。当時まだ脚気の原因はわかっておらず、西洋医はおそらく細菌かなにかによるものだろうと抗生物質を投与しましたが、全然効果がありません。一方、漢方医は患者の生活習慣に着目します。そして、脚気の患者の食習慣は、白米ばかりを食べていることが多いことに気付きます。そこで白米を麦飯に替えてみる食事療法を実施しました。すると、患者たちが治りだしたのです。

 

脚気の原因がビタミンB1不足だということがわかったのはそれから何十年も後なのですが、その漢方医は患者をしっかり診ることで難病を治療することができたのでした。白米にはビタミンB1があまり含まれていないそうで、当時の人たちは米ばかり食べていたために脚気になりやすかったようです。

 

しかし政府は、治療がうまくいったにもかかわらず、科学的根拠がないということで漢方医のことを認めず、漢方医学はその後も医学界から排除されたままということになりました。

 

そういった歴史があるのですが、西洋医学にもいいところがあり、東洋医学にもいいところがあります。西洋医学一辺倒ではなくて、両方のいいところをうまく融合させ補い合うことがよりよい医療のために大切だと思います。              (井上満弘)